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古高松地区について

 古高松地区は、高松市の北東部に位置する歴史豊かな地域です。この地区はかつて港町として栄え、現在の高松市名の起源となっています。長い歴史の中で、水田に囲まれた白壁の農家が点在する農村地帯から、現代の住宅地域へと変化を遂げてきました。また、周辺には古墳などの歴史的遺跡が数多く残されており、地域の歴史の深さを物語っています。

 明治23年(1890年)に町村制の施行により、古高松村・春日村・新田村が合併し、山田郡古高松村として成立しました。そして、昭和15年(1940年)に周辺自治体とともに高松市に編入されました。この合併により設置された高松町・新田町・春日町の3町は、古高松地区の歴史と文化を今に伝えています。

 地理的には、古高松地区は高松平野の一部であり、南東側には前田山などの山々が連なっています。地区内には渇水対策のため池が多く存在し、自然との調和を保っています。

 教育面では、古高松中学校・古高松小学校・古高松南小学校が地区の教育を支え、高松大学・高松短期大学も地域に根差した教育機関として貢献しています。

 古高松地区は、長い歴史を持つ港町から現代の住宅地域へと変貌を遂げ、教育・文化・自然が調和する魅力的な地域です。その歴史と文化、自然の豊かさを感じながら、ぜひ古高松地区を訪れてみてください。

神櫛王墓

古高松神櫛王墓

高松町と牟礼町の境に、香川県内に2カ所しかない宮内庁が管理する陵墓の一つがあります。この陵墓は、第12代景行天皇の皇子である神櫛王(かんぐしおう)の陵墓と伝えられます。

神櫛王は、大和朝廷の諸国平定策に伴い讃岐国造として着任しました。死後、現在地に墓が造られましたが、長年月を経て墓所は荒廃したので、明治3年(1870年)9月に藩主松平頼聡氏が大修復を行い、現在に至っています。

高松町

赤牛橋

古高松赤牛橋
高松町

赤牛崎(あかばざき)近くの相引川にかかる橋でし。赤牛橋の付近は、源平屋島の戦いで、源義経が屋島の平家を攻めるおりに、渡った場所だと伝えられています。

源平合戦当時(1185年)の屋島は島で、海峡の最も狭いところ(200m) で相い引の浜と呼ばれ、干潮時は馬で渡れました。

一里塚

古高松コミュニティ協議会 古高松コミュニティセンター 古高松南コミュニティセンター 古高松コミセン 古高松南コミセン

松平頼重公の時代、現在古高松に残る旧道(志度街道)が整備されました。志度街道の起点となった常盤橋から一里(約3.9m)ごとに塚が設けられ、松や榎を植え旅行者の休憩所となりました。

現在、多くの塚は失われましたが、古高松にはクロガネモチの木の「一里塚」が残っており、江戸時代の面影を今も伝えています。

高松町

古高松村役場庁舎の門柱

古高松コミュニティ協議会 古高松コミュニティセンター 古高松南コミュニティセンター 古高松コミセン 古高松南コミセン
高松町

古高松村役場庁舎は、大正14年(1925年)に竣工し、昭和15年(1940年)に高松市に合併してからも、しばらくは高松市古高松出張所として利用されていました。

昭和49年に旧高松市古高松出張所(旧東部公民館)が開庁したので解体されましたが、今もその面影を残す門柱がひっそりとたっています。

JR屋島駅

JR屋島駅

 大正14年(1925年)8月1日に高徳線の高松~志度間が開通し、同時に屋島駅が開設され、屋島遊覧客の乗降駅になり多くの観光客で賑わいました。車の普及とともに乗降客も減少しましたが、現在も通勤・通学の足として住民に利用されています。
《JR屋島駅:切符販売窓口》

営業時間 7:00〜18:00(11:30〜13:00は窓口を閉鎖)

​【JR屋島駅盛り上げ隊】

 駅周辺自治会や鉄道OB有志の方たちが中心となって結成し、駅の活性化や環境整備を行っています。切符の販売はもちろん、地域振興スペースでのギャラリー展示や観光案内、各種イベントを開催するなど観光と地域の振興を目指しています。

●ギャラリーに作品を展示してくださる方を募集中!

 詳しくは古高松コミュニティセンター(☎087-841-6262)まで。

【元気YASHIMAを創ろう会】

 屋島中学校昭和33年度卒業の同窓生を中心としたメンバーから成る、屋島の歴史、文化、里山を守り、屋島の活性化を目指して活動するボランティア団体です。

観光案内スペースを拠点に様々な活動をしていますので、お気軽にご利用ください。

《活動内容》

・観光情報の提供

・てくてくりんりんマップなど作成

・ボランティアによる観光ガイドの実施

・レンタサイクルの貸出

《JR屋島駅観光案内スペース》

住所:高松市高松町88番地2(JR屋島駅舎内)

☎090-2893-8714

営業日:土日祝 10:00~15:00

高松町
JR屋島駅
JR屋島駅

古高松コミュニティセンター

高松市古高松出張所

 平成18年(2006年)4月1日より、高松市が指定管理制度を導入することになり、市内の41公民館は、コミュニティセンターと名称を変えました。

 古高松コミュニティセンターは、同年、高松町の現在地に移転・建設され、開館しました。またそれに伴い、古高松出張所も、コミュニティセンター内に移転ししました。

高松町
古高松コミュニティ協議会 古高松コミュニティセンター 古高松南コミュニティセンター 古高松コミセン 古高松南コミセン
古高松コミュニティ協議会 古高松コミュニティセンター 古高松南コミュニティセンター 古高松コミセン 古高松南コミセン
古高松コミュニティ協議会 古高松コミュニティセンター 古高松南コミュニティセンター 古高松コミセン 古高松南コミセン

源義経鞍掛の松

 建武の新政で手柄をたてた高松(舟木)頼重は、建武2年(1335年)に讃岐国の守護に任ぜられ、この地に讃岐一国の治安を司るのにふさわしい城(平城)を築城しました。

 その後、この地は、約250年間にわたって高松氏の居城でしたが、天正13年(1585年)高松頼邑の時、豊臣秀吉の軍と戦って敗れ落城して高松氏は滅亡しました。戦国時代、古高松は讃岐の国の中心地で、喜岡寺の境内に高松城の本丸がありました。

 天正15年(1587年)讃岐の国の領主となった生駒親正が、現在の玉藻公園へ築城し高松城と名付けたことから、この地は「古い高松」ということで、古高松と呼ばれるようになりました。

高松町
源義経鞍掛の松

高松城(喜岡城)趾

高松町

高松市民の健康の増進・体力づくり等を目指し、市民が気軽に利用できる施設として平成26年(2014年)に全面開園しました。レクリエーション・スポーツ・健康づくりなど、幅広い活動を可能とした施設です。

高松城(喜岡城)趾

高松東消防署(旧高松東消防署)

 高松市民の健康の増進・体力づくり等を目指し、市民が気軽に利用できる施設として平成26年(2014年)に全面開園しました。レクリエーション・スポーツ・健康づくりなど、幅広い活動を可能とした施設です。

新田町
高松市立東部運動公園
高松市立東部運動公園

高松東消防署(旧高松東消防署)

新田町

 昭和54年(1979年)、高松町に高松東消防署庁舎が完成して業務を開始しました。その後、庁舎が老朽化したため、平成28年(2016年)4月1日、新田町に新しく高松市東消防署庁舎が完成して業務を開始しました。
(写真左は旧高松東消防署。写真右は新高松東消防署)

高松東消防署
高松東消防署

山下古墳(円墳)と岡山古墳群

 新田町岡山地区にある大規模な円墳です。玄室(古墳の内部にあって、棺を納める室)の広さは古高松地区第一で、玄室の天井は大きな一枚岩で作られています。

 山下古墳の東側の山「岡山」の岡山金比羅神社の南側には、小さいながらも前方後円墳と多数の円墳が現存しています。

新田町
山下古墳

久本古墳(円墳)

新田町

 4世紀頃に久米池の南方にまたがる茶臼山に築かれた全長66mの前方後円墳です。

 古墳時代後期(6~7世紀)に築かれた横穴式石室古墳で、巨石を用いて部屋が造られています。玄室の奥には石棚があり、昔は陶棺が安置されていました。

 石室の保存状態が良好で、巨石を組み合わせた巨大な横穴式石室があり、まさに「古高松の石舞台古墳」と言えます。

 昭和49・50年の発掘調査により見つかった出土品は、現在高松市歴史資料館でみることができます。
​(写真左は古墳入り口。写真右は古墳内部)

久本古墳(円墳)
久本古墳(円墳)

高松市茶臼山古墳

 4世紀頃に久米池の南方にまたがる茶臼山に築かれた全長66mの前方後円墳です。

 被葬者は、大和朝廷から来た大豪族で、この古墳には、県内最大規模の畿内石室を有しています。また、高松市の史跡も指定されています。

新田町
高松市茶臼山古墳

久米池(アサザの里)

新田町

 久米池は、讃岐の藩主生駒高俊が伊勢より西嶋八兵衛を招いて、干ばつ救済のため築造した古高松地区で最も大きなため池です。

 希少植物である「アサザ」が現存しており、地域が一体となって久米池の維持管理・環境保全活動をしています。

【アサザとは?】

多年草の浮葉植物で、キュウリの花に似た黄色い可憐な花を咲かせます。

県内では久米池が唯一の自生地です。

開花時期は5月〜9月

環境省植物版準絶滅危惧種(NT)

香川県版絶滅危惧Ⅰ種。

久米池(アサザの里)
アサザ

春日神社

 天平年間(729~7499)にまず久宋寺が建立され、その伽藍を鎮守する神社として春日神社が建立され、後に現在地に移されました。社碑によると「春日神社は1000年以上前、春日の松原に建造され、その後、寛文4年(1664年)に現在地に遷宮された」とあります。大正7年(1917年)には、春日地区にあった6神社がここに合祀され、この地区の産土神(ウブヅナカミ)として尊崇されています。

 現在の社殿は昭和55年(1980年)に地域の人々の寄付により新築されました。門には、春日大社の神の使いの象徴である雄雌の鹿の像があり、これは、高松藩主松平頼重公により寄進された由緒ある文化財です。

春日町
春日神社

仁木徳萬顕彰碑

春日町

 西暦1600年前後、久米池の築造や春日川の付け替えに尽力した仁木徳萬と言う人物がいたと伝えられます。その屋敷は、現在の春日町567番地にあったとされ、徳萬神社があったと伝わっています。「徳萬さん」の名前は、地域の伝承に多く残り、徳萬顕彰碑には「久米池築池功労者也」と記されています。

古高松コミュニティ協議会 古高松コミュニティセンター 古高松南コミュニティセンター 古高松コミセン 古高松南コミセン

古高松南コミュニティセンター

 昭和29年(1954年)9月に現在地に幼稚園兼公民館が竣工し、春日町の公民館として開館しました。

 昭和59年(1984年)、管理運営が春日町から高松市に変わり、古高松南公民館が開館し、その後、平成18年(2006年)に古高松南コミュニティセンターと名称を変えました。

春日町
古高松南コミュニティセンター
古高松南コミュニティセンター
古高松南コミュニティセンター

​上にご紹介した史跡や施設などを記載した「古高松地区 ふるさと探検マップ」をご用意しています。

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